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司馬遼太郎氏の小説は雑学の宝庫だ。
必ず何箇所か話がそれて、違う話題やエピソードにに進むことがある。 その中のひとつを紹介する。 戦国時代は男色の流行時代であった。 上杉謙信と直江兼続、織田信長と森蘭丸、徳川家康と井伊直政などの例がある。 しかし豊臣秀吉にはその傾向がなく、女色一点ばりであった。 しかも家来や大名の妻女にまで手を出したという。 そこで秀吉が太閤になった頃、詰間の諸候の座興ばなしが発展し、秀吉に天下一の美童を対面させてみようということになった。 そして機会を見つけて美々しく着飾らせた美少年を秀吉の前に出すと、さすがに驚き 「これへ来よ」 と別室に連れて行ったという。 いたずら諸候は大よろこびし、その美童が戻ってくると諸候は膝をすすめ 「殿下はどう申された」 と固唾を飲んで答えを待つと、美童は無表情な顔で言った。 「ただ一言、そなたに姉はないかと申されただけでございます。」 これにはみな失笑したという。 秀吉は筋金入りの女色家だったのだ。 PR |
突然のコメント失礼します!…中世日本では男色は当然のことだと思っていたのですが、確かに秀吉の場合はそういうのは聞かなかったですね(^^; こういうエピソードは初めて聞きました!
めずらしい大名ですねぇ、秀吉さん。 |
ふぁんくさん、コメントありがとうございます。
しかも秀吉は明るい女色家であったのでほほえましいところがありますよね。 晩年はなんともいえませんが。。。 |
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