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切腹には色々な作法があったようだ。
切腹の前にの食事は限りなく薄いものにする。(消化できないものが出ると見苦しいから) 腹の肉を寄せて刀を刺し、それが戻る力で一文字に裂くなどがあったようだ。 ただ、こんなもんで人間は死なないから、首を討つ介錯人が必要になる。 戦国時代の詳しい作法ははっきりしないが、自分で自分の首を切り落とした人物がいた。 関ケ原の戦いで息子を東軍に与させ、自らは西軍に与した九鬼嘉隆がその人。 結局、わずか一日の戦闘で西軍は壊滅したわけだが、西軍に与した嘉隆は息子・守隆の重臣・豊田五郎左衛門の説得で自刎(じふん)した。 自刎とは、自分で自分の首をはねて死ぬこと。 しかしそんなことが出来たのだろうか?? 嘉隆はそれほど苛烈な人物だったが、息子・守隆もまた苛烈で、父に自裁を勧めた豊田五郎左衛門を鋸引きの極刑に処した。 鋸引きとは、織田信長が杉谷善住坊の処刑で使った方法で、罪人を首だけ出して土に埋め、切れ味の悪い鋸で少しずつ引いて殺す残忍な方法。 九鬼の「鬼」がこのようなこうとを行わせたのであろうか。。。 「海王伝」「戦鬼たちの海」 白石一郎著 PR |
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