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播磨・三木城が落城し、別所長治夫妻が自刃した日。
別所長治は、織田信長の麾下に属していながら毛利氏に通じ、そのことから秀吉軍に攻められ、「三木の干し殺し」と呼ばれた兵糧攻めによって約二年間の籠城の末に自刃した武将。享年二十三歳。 彼は城兵の助命を条件に潔く自刃したが、長治の叔父・別所賀相は、毛利につくことを主張し、別所氏を滅亡に導いた張本人でありながら、落城の際に、櫓に火をつけて己のみ助かろうとして家臣に討ち果たされた人物。 それに比べ、賀相の妻は潔く、良人の醜い死際を知っても乱れず騒がず、長治夫妻が自刃するのを見届けると、男女三人の幼な子をと自分の喉を突いて自害したという。 別所長治の辞世 今はただ 恨みもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身と思へば 別所長治の妻の辞世 もろともに 消えはつるこそ うれしけれ おくれ先だつ 習ひなる世を 別所賀相の妻の辞世 のちの世の 道もまよはじ いとし子を 我が身にそへて 行くすゑの空 PR |
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