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福島正則が没した日。
無断築城により安芸・備後四十九万八千石を改易され、信州・川中島高井野邑で没した。 正則は加藤清正と並んで、豊臣秀吉恩顧の大名。 清正に比べて猪武者的なところがあり、若い頃は狂人じみた振舞いも多かったという。 そんなエピソードをひとつ。 海路領国に帰るとき、大酔いして寝ていた正則が、家法として上陸の際に小者が麻服を綿服に着替えることに定めていたため、気に入りの側役・柘植清右衛門がそばに居ると思い込み 「木綿に着替えることを命じよ」 と言い、そのままうとうとした。 その時、清右衛門はそばに居ず、正則の命令を聞いていなかった。 やがて目が覚めてみると、小者は誰も木綿を着ていないので、おのれ清右衛門っ!と怒鳴り、なぜ申したとおりにせぬ、命に背く気か、とわめいたところ、清右衛門は 「その御命令、聞いておりませぬ」 と言ったので 「主の言葉に逆らうのか、死ね、死ねなぬか。皆も聞け、清右衛門の首を見ずば、わしは船から上がらぬぞ」 と言い、家老がなだめても聞かず、大騒ぎになった。 清右衛門は、自分ひとりの為にかかる騒ぎになるのは相済まぬといい、町家にあがって切腹した。 家老がその首を持ってくると正則の機嫌が直り、そのまま高いびきをかいて一睡したあと目覚めてから 「清右衛門はあるか」 と呼んだ。 家老たちが先ほどの始末を言上すると「うそだ」と信じず、首を見せると肝をつぶし、首にすがって泣いたという。 (司馬遼太郎著「おれは権現」より) 背筋が寒くなるような狂人ぶりだ。 PR |
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