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【2024/04/26 14:29 】 |
慶長十六年(1611年)六月四日は
真田幸村の父・真田昌幸が亡くなった日。

真幸は徳川家康を恐怖せしめた智謀の将だ。
なぜなら、信州・上田城で徳川の大軍を二度までも撃退したためである。

最初は天正十三年、鳥居元忠や大久保忠世ら八千の兵に包囲されながらも、十分に敵を引きつけてから銃撃し、混乱するところを伏兵によって奇襲して壊滅させた。

二度目は徳川秀忠を総大将とした三万八千の軍が関ヶ原の決戦の地に向かうとき、この大軍を引き止めるための真幸による作戦にのせられて上田城を攻め、同じような作戦で徳川軍を翻弄。
秀忠は上田城を落とせないばかりか十日間を空費し、関ヶ原に間に合わないという恥を天下にさらした。

戦後は、子の信之の懇願により死罪は免れたが紀州・九度山に蟄居し、十一年後に病死することになる。
大阪の陣まで生きて入城していれば、真幸・幸村コンビが三度目の徳川軍撃退をしていたかもしれない。
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【2005/06/04 17:40 】 | 今日は何の日 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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