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松永久秀と三好三人衆が、将軍・足利義輝を暗殺した日(永禄の大逆)
足利幕府十三代将軍の義輝は、剣聖・上泉伊勢守信綱から新陰流を学び、塚原卜伝に奥義の伝授を受けた「剣豪将軍」と言われるほどの人物だった。 御所で松永・三好勢に襲われたとき、数々の名刀を抜いて畳に刺し、抜刀して敵を斬りまくり、斬れ味が落ちると刀を変えて戦ったという。 阿修羅のような義輝に怯んだ松永・三好勢は、四方から障子をかぶせて押し倒し、その上から刺し殺したといわれる。 享年二十九歳。 辞世の句は 「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」 関連リンク→上総介 戦国書店 ↓クリックお願いします。 PR |
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