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越前守護・朝倉義景の辞世
七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空 織田信長に抵抗し、浅井氏・武田氏・本願寺などを糾合して信長包囲網を築きながらも最後は織田勢の追撃にあい、自刃することになった朝倉義景の辞世です。 居城の一乗谷に戻り、縁戚の朝倉景鏡の進言で大野亥山城に移りますが、その景鏡にも裏切られ、共の者も逃げ去りわずか八人となったところで自刃しました。 辞世は「七転八倒して苦しみもだえた四十年の生涯は、自らも無く、他も無く、本来むなしいものであった」という意味です。 鎌倉から続いた名家の最後は、本当にむなしいものでした。 PR |
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