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家康の次男で秀吉の養子である越前宰相・結城秀康を書いた本。実父に疎まれ続け、養父に対する親近感を覚える秀康。家康にとって常に「獅子身中の虫」であった彼の屈折した心と波乱の人生を描いています。 2008.6.16読了 クリックお願いします。 → 関連リンク→上総介 戦国書店 PR |
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私は結城秀康についての著書をきちんと読んだことがないのですが、すごく興味深いです。
出生からして正室の築山の方に疎まれるのは判るとして、父親の家康にまで嫌われて、しかも秀吉に養子に出されるという、えらく劇的な人生だったみたいですね。しかし、何故家康に嫌われてたのか?不思議です。私には家康の解せない点が幾つかあります。 秀康の人物としては九州征伐、朝鮮出兵で功績を残しているようですし、また、剛毅なエピソードが伝わっているので、かなり武勇の優れた人だったみたいですね。亡くなったのが34歳という若さだったのが残念ですが、暗殺説もあるそうで、だとすると最後までドラマスティックな人生でした。
【2008/06/28 13:05】| | 白天目 #29efd3d944 [ 編集 ]
Re:何故、家康までも嫌うのか
白天目さん、こんにちは。
家康の秀康嫌いはよくわかりませんね。 だからこそ、秀康を題材にした小説は、様々な説を描いていて面白いですよ。 一度、読んでみてください。 ちなみに同じく家康に嫌われていた六男・忠輝も秀康と性格が似ていて、秀康にかわいがられていたようですよ。 |
上総介様はじめまして。
文京区のツツミと申します。 ブログの戦国本の登場人物、『小山田多門』に関して、お伝えしたいことがあったのですが、偶然にも、彼の仕えた松平忠直の親父殿に関する書評があったので、こちらに投稿させていただきます。 多門について、《松平忠直の寵臣、小姓または徒士出身であったが、忠直の気に入る働きをしたため千石の大身に出世した、忠直の配流に従って豊後に行ったが、その後は不明》とされていますが、これは、海音寺潮五郎の「悪人列伝」辺りからの出典かと存じます。私も読みましたが、史料批判も不十分な、聞 いていた以上の悪書でした。 海音寺は、越前の続片聾記という史料を基に、忠直乱行譚について述べているのですが、続片聾記では、忠直配流の際に討ち取られた、とされている小山田多門に関しては、なぜか「行方知れず」としています。 海音寺が史料にした続片聾記自体、相当いいかげんなもので、実は多門は、忠直と同時に館林に配流となり、10年ほどして米沢に移され、結構丁重な扱いを受けて(子孫は米沢藩士にとり立て)、大往生しているという、こちらはしっかりした史料が残っています。そして直系の子孫が、浦和にいらっしゃるそうです。(それから分限帳によれば越前での役高は7百石です。) 以上は、中嶋繁雄氏の労作「忠直乱行」に詳しいので、ぜひ御一読をお勧めします。
【2008/07/01 09:27】| | ツツミ #9915c3fea2 [ 編集 ]
Re:息子の家臣の話ですが
ツツミ様
はじめまして。 貴重な情報をありがとうございます。 中嶋繁雄氏の「忠直乱行」ですね。 機会があったら読んでみたいと思います。 |
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