× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
上条河原の戦いで武田信虎と戦った福島正成が戦死。この合戦中に武田信玄が生まれたといわれます。
この年、信虎は国府を石和から躑躅ヶ崎へ移転させ、城下町建設中でした。そこへ今川氏の重臣・正成が攻め込みます。(飯田河原の戦い) 多数の犠牲を出しながら何とか正成を撃退。翌月に再び福島勢に攻め込まれたが、大将・正成を討ち取る圧勝をおさめました。これ以降、武田家が国府建設と国内統一されることになります。 福島正成は、「フクシマ」ではなく、「クシマ」と読みます。福島家は今川氏親の側室の一族で、今川家ではかなり勢力を持った家でした。しかし今川氏輝没後の後継争い(花倉の乱)で勢力が衰えます。 この戦で正成が討ち取られたことによって、子の綱成は北条氏にはしり、北条氏綱の娘を妻として養子となり、地黄八幡の旗で有名な北条綱成となりました。 福島家は代々、左衛門太夫を名乗っています。豊臣秀吉の子飼いの武将・福島正則もこの福島家と関係があったとも言われています。もしかしたら、福島正則も「クシママサノリ」と読むのかもしれません。 武田信虎が主人公の本 □雲の涯 □信虎 □武田修羅伝 帰って来た信虎 福島正則が主人公の本はこちら PR |
|
トラックバックURL
|
忍者ブログ [PR] |