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岩屋城の戦いで高橋紹運が討死した日。
紹運は大友宗麟の家臣で吉弘鎮種と称していたが、岩屋城主・高橋鑑種が宗麟に叛き追放されたあとに高橋家を継いだ。 実は彼は立花宗茂の実父で、立花道雪から懇願されて嫡男・統虎を養子に出した。 岩屋城の戦いは、島津忠長率いる六万の大軍が筑前・岩屋城を攻めた戦い。 島津氏の圧迫により宗麟が秀吉に請い、九州征伐が開始されようとしているときであったため、島津軍としては少しでも征服地を増やしたいところ。 七百の兵で籠もった紹運は降伏を勧められるが拒否。城に籠もって八十倍の島津忠長軍を迎え撃ち、半年持ちこたえて一兵残らず討死した。 敵将・忠長は、紹運の御首を抱いて 「おはん神か人か。日の本一の武者ぶりでごわしたぞ」 と泣いたという。 (「戦国挽歌 高橋紹運」より) この戦いで島津軍の損害は十倍の七千人。 島津氏の破竹の勢いが止まった。 この後、島津軍は立花宗茂の籠もる立花城を攻めるが、九州征伐の第一陣が到着し、退却することになる。 そう、紹運は実子の捨石となったのだった。 PR |
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