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【2017/10/19 14:21 】 |
天正十四年(1586年)七月二十七日は
岩屋城の戦いで高橋紹運が討死した日。

紹運は大友宗麟の家臣で吉弘鎮種と称していたが、岩屋城主・高橋鑑種が宗麟に叛き追放されたあとに高橋家を継いだ。
実は彼は立花宗茂の実父で、立花道雪から懇願されて嫡男・統虎を養子に出した。

岩屋城の戦いは、島津忠長率いる六万の大軍が筑前・岩屋城を攻めた戦い。
島津氏の圧迫により宗麟が秀吉に請い、九州征伐が開始されようとしているときであったため、島津軍としては少しでも征服地を増やしたいところ。
七百の兵で籠もった紹運は降伏を勧められるが拒否。城に籠もって八十倍の島津忠長軍を迎え撃ち、半年持ちこたえて一兵残らず討死した。
敵将・忠長は、紹運の御首を抱いて
「おはん神か人か。日の本一の武者ぶりでごわしたぞ」
と泣いたという。
(「戦国挽歌 高橋紹運」より)

この戦いで島津軍の損害は十倍の七千人。
島津氏の破竹の勢いが止まった。

この後、島津軍は立花宗茂の籠もる立花城を攻めるが、九州征伐の第一陣が到着し、退却することになる。

そう、紹運は実子の捨石となったのだった。
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【2005/07/27 20:37 】 | 今日は何の日 | 有り難いご意見(0) | トラックバック(0)
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