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武田勝頼が甲斐の恵林寺で父武田信玄の葬儀を盛大に行った日。
法名は恵林寺殿機山玄公大居士。 信玄が実際に死んだのは、天正元年(1573年)の四月十二日。 葬儀の約3年前だったが、近隣諸将には知れ渡っていたと思われる。 信玄の最大のライバル・上杉謙信は、信玄没するとの報を中食の最中に受け、思わず湯漬けの箸を捨て、飯を吐き出し 「さてさて残り多き大将を殺したるものかな。英雄、人傑とは、この信玄をこそ言うのであろう。関東の弓矢、柱をなくし惜しきことだ」 と涙をはらはら流したという。 PR |
今日、新田次郎の「武田勝頼」の小説内で、信玄法要に参加しました(笑)
105円で購入した掘り出し物なので、全3巻のうち、第2、3巻しか無いのが欠点です。。。 |
全巻揃えられないのは。
ソレガシも現在上巻のみの本が2冊と2巻抜けが1セットあります。なかなか105円で出てこないので、気長に待ってます(笑) |
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