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徳川家康が亡くなった日。
家康の死因は、「鯛の天ぷら」にあたったと言われている。 また胃がんであったとも言われる。 家康の晩年は、豊臣家の臣従工作に心を砕いた。 しかし淀殿の感情的な反抗にあって断念。 すると一転、豊臣家を滅亡させるための工作をすすめる。 その過程での謀略をもって、「狸親父」という仇名が現在でも有名だ。 しかし若き頃の家康は、信長と同盟という肩書での臣従を余儀なくされ、信長の度重なる過酷な要請に応え、「律義者」としての名声が高かった。 「律義者」から「狸親父」への分岐点は関ヶ原の戦いにあると思われる。 それゆえ、「影武者家康」説が浮上し、戦国小説を面白くしているのだ。 徳川家康が主人公の本 関連リンク→上総介 戦国書店 PR |
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