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斎藤道三が嫡男・斎藤義龍に敗れ戦死した日。
斎藤道三は美濃国を守護・土岐氏から盗ったことで有名な戦国梟雄で、下克上の最初の一人といわれている。 道三は主君・土岐頼芸の側室であった深芳野を下げ渡されて妻とし、その翌年に義龍を生まれため、頼芸の落胤であったといわれ、これが親子相克につながったというのが通説である。 一方で、義龍は稲葉伊予守良通(稲葉一鉄)の妹(姉)が道三の妻となって生んだ子だという説もある。彼女は身の丈六尺の絶世の美女であったという。 義龍は身長六尺四・五寸でひざの長さが一尺二寸の大男だったというから、稲葉氏の子であったというのが妥当なのかもしれない。 ではなぜ親子戦争を始めてしまったのか? これを考えるとやはり頼芸と深芳野の子であったという説が有力になるのだが。 このあたりの関係を想像しながら斎藤道三が主人公となっている小説を読むのも面白いだろう。 斎藤道三が主人公の本 関連リンク→上総介 戦国書店 PR |
aho
【2006/05/16 10:41】| | a #99bec528f7 [ 編集 ]
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ばか~ん(笑)
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