忍者ブログ
  • 2024.03«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • » 2024.05
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/04/25 22:36 】 |
弘治二年(1556年)四月二十日は
斎藤道三が嫡男・斎藤義龍に敗れ戦死した日。


斎藤道三は美濃国を守護・土岐氏から盗ったことで有名な戦国梟雄で、下克上の最初の一人といわれている。
道三は主君・土岐頼芸の側室であった深芳野を下げ渡されて妻とし、その翌年に義龍を生まれため、頼芸の落胤であったといわれ、これが親子相克につながったというのが通説である。

一方で、義龍は稲葉伊予守良通(稲葉一鉄)の妹(姉)が道三の妻となって生んだ子だという説もある。彼女は身の丈六尺の絶世の美女であったという。

義龍は身長六尺四・五寸でひざの長さが一尺二寸の大男だったというから、稲葉氏の子であったというのが妥当なのかもしれない。

ではなぜ親子戦争を始めてしまったのか?
これを考えるとやはり頼芸と深芳野の子であったという説が有力になるのだが。

このあたりの関係を想像しながら斎藤道三が主人公となっている小説を読むのも面白いだろう。

斎藤道三が主人公の本

関連リンク→上総介 戦国書店
PR
【2006/04/20 15:57 】 | 今日は何の日 | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
<<天正十一年(1583年)四月二十一日は | ホーム | 元和二年(1616年)四月十七日は>>
有り難いご意見
無題
aho
【2006/05/16 10:41】| | a #99bec528f7 [ 編集 ]


無題
ばか~ん(笑)
【2006/05/16 21:17】| URL | 上総介 #985c53c9c8 [ 編集 ]


貴重なご意見の投稿















虎カムバック
トラックバックURL

前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]