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【2017/12/14 03:45 】 |
慶長五年(1600年)七月二十五日は
小山の軍議が開かれた日。

会津・上杉家討伐に出陣した大老・徳川家康の軍が下総小山に到着したとき、石田三成が家康討伐の兵をあげたという情報を得たため、同行してきた諸将を集めて開いた軍議をいう。

軍議は三成が豊臣秀頼を担ぎ出したたことと、大阪に妻子を置いている大名が多かったため、腹の探り合いで空気は重くなった。
これを打開するため、家康は諸将に
「三成に味方する者は即刻陣を払い国に帰り籠城の支度をせよ」
と行った。
そのとき福島正則が
「今さら治部めの一味つかまつる筋目はござらぬ。妻子が串刺しになろうとも三成を討つ。ソレガシ先陣をうけたまわる所存でござる」
と言ったため、諸将があらそって同様の旨を申し出て、その場の空気は一変したという話は有名だ。

この一言が豊臣恩顧の大名を家康の家来にしたと言ってもいいすぎではないだろう。

色々なエピソード満載の福島正則の登場する本はこちら
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【2005/07/25 23:18 】 | 今日は何の日 | 有り難いご意見(0) | トラックバック(0)
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