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北條氏康の四男・北条氏邦が金沢で死去した日です。
北条氏政・北条氏照の弟の彼は、幼少時に武蔵・天神山城主・藤田重利の養子になり、藤田姓を名乗ります。 その後武蔵・鉢形城へ移り、越後の上杉家との同盟に尽力しました。 また、家臣・猪俣邦憲に命じて真田氏の名胡桃城を奪い、これが秀吉の小田原征伐の口実となります。 秀吉の小田原征伐では、鉢形城を守備。上杉景勝・前田利家らに攻められ降伏。加賀前田家預かりとなりました。 北条家の中でも徹底抗戦派の最右翼で、小田原評定では籠城論が主勢となる中、打って出て迎え撃つよう主張しますが受け入れられなかったといわれます。 北条氏邦が登場する本は □北条戦国記 PR |
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関白・豊臣秀次の謀反発覚により、京・三条河原で妻子ら三十九人が処刑された日。
斬首されたのは妻妾、乳母、侍女、子供達で、正室・一の台(菊池晴季の娘)や最上義光の娘も含まれていました。 晴季も義光も時の権力者の後継者に近づくことによって、勢力を広げようと考えたのでしょうが、裏目に出てしまいました。 秀吉の晩年の狂気を伝える代表的な出来事です。 最上義光が登場する本は □最上義光の面影を追う ■翔竜政宗戦記(脇役) |
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石田三成が挙兵し、伏見城を攻め落とした日です。
伏見城の城将は、徳川家の鳥居元忠です。 彼は、家康が今川家の人質時代から遊び相手として仕えていた譜代の家臣です。 三成の挙兵を予想し、真っ先に攻められる伏見城で討ち死にすることを強いられました。 彼が西軍を足止めしたことにより、関ケ原の戦いにつながることになります。 西軍・真田昌幸の徳川秀忠軍の足止めに匹敵する東軍の功績です。 鳥居元忠が登場する本は ■鳥居元忠(主人公) ■闇の松明(脇役) |
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高橋紹雲が筑前・岩屋城で島津軍に攻められ自刃した日です。
立花宗茂の実父である紹雲は、大友宗麟の家臣で、耳川の戦いから衰退していた大友氏に最後まで忠誠を尽くし、島津軍五万に対して千に満たない兵で籠城。 開城勧告を拒否して、島津の大軍を半月以上も釘付けにしました。 これにより豊臣軍の援軍到着までの時間を稼ぎ、立花山城に籠もった実息・宗茂を守ったともいわれています。 紹雲は切腹し、腸を投げつけて果てるという壮絶な最期をとげ、城兵は一人残らず討ち死にしました。 敵将・島津忠長は、紹運の首を抱いて「おはん神か人か。日の本一の武者ぶりでごわしたぞ」と涙を流したといいます。 高橋紹雲が登場する本は ■ 戦国挽歌高橋紹運 |
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大田道灌が主君・上杉定正に暗殺された日です。
扇谷上杉定正の家老であった道灌は、幼少からとても利発な子で、成人してからも足軽を使った軍略や江戸城築城など軍略に優れ、和歌にも通じていた文武両道の英傑。 しかしその多大な功績と才能は、定正に評価されず暗殺されます。 その方法は、道灌を自邸に呼び、風呂に入ることを勧め、刺客を潜ませて丸腰の道灌を討ったといいます。 死ぬ間際に「当方滅亡」と言い残こしたといいます。 ちなみに、道灌は伊勢新九郎(北条早雲)と同い年です。 大田道灌が登場する本は ■小説太田道灌 □小説太田道灌 |
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