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三木城主・別所長治の辞世
今はただ 恨みもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身と思へば 別所長治は、織田信長の麾下に属していながら、所業に不安を感じて毛利氏に通じたことによって秀吉軍に攻められ、「三木の干し殺し」と呼ばれた兵糧攻めによって約二年間の籠城の末に自刃した武将です。二十三歳でした。 城兵は飢えのためまともに戦えず、城内の生き物はすべて食べ尽くし、松の荒皮を剥いで甘肌をなめた。長治はこの惨状を見かね、自分と一族の切腹と引き換えて、城兵を助けてくれるように秀吉に打診します。 その願いが入れられ、自刃するときの辞世です。三木城の本丸跡にこの辞世が書かれた石碑があるそうです。 PR |
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