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【2024/04/27 04:39 】 |
千利休の辞世
武将ではありませんが、千利休の辞世

  ひっさぐる わが具足の 一つ太刀 今この時ぞ 天になげうつ


茶人とは思えない、力強い辞世です。
利休の本名は納屋与四郎。茶の湯を武野紹オウ(字が出ません)に学び、織田信長に仕え、正親町天皇の勅を奉じて利休居士の名をもらっています。

信長没後は豊臣秀吉の寵愛を受け、秀吉の異父弟・秀長と肩を並べて、豊臣政権をかげで動かすほどの権勢を持っていました。

しかし秀吉の勘気を蒙り、京で切腹の命令が下ります。
そのときの辞世で、唱えたあとに見事に切腹して果てました。

秀吉の勘気の原因は色々な説がありますが、結局、利休は秀吉を成り上がり者として軽蔑の目で見ていたことが、秀吉には我慢ならなかったのでしょうか。
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【2004/08/24 23:22 】 | 武将の辞世 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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