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大友宗麟と島津義久が日向の高城川原で激突した「耳川の戦い」があった日。
全盛期を迎えていた大友宗麟はキリシタンに没頭し、それにより家臣の離反を招きつつあった。この頃、友好関係にあった日向の伊東義祐の敗走をきっかけとして日向侵攻を行い、伊東氏を追った島津軍と激突した。 先鋒の大友軍が勝利し山田有信の守る高城を取り囲んだが、島津義久の主力に背後から襲われ城兵との挟撃にあって壊滅。宗麟は重臣や有力武将を失い敗走。そして領国では秋月種実や龍造寺隆信などの国人の離反を招き、大友氏は急速に衰えることになる。 これがきっかけで、島津氏は豊臣秀吉の九州征伐を招いたのだ。 戦国時代は川を挟んで戦ったことが多く、有名な合戦は川の名前がつくことが多い。 この戦もその中のひとつだ。 大友宗麟が主人公となる本 PR |
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前田慶次郎が大和刈布村で逝去した日
前田慶次郎は前田利家の甥で、「かぶきもの」で有名。 前田家を出奔し、京都で自由奔放に暮らしたのちに、上杉家に仕えたといわれる。 関ヶ原ののちに上杉家を離れ大和国に渡り、その地で没したという。 一方、関ヶ原ののちも他藩からの誘いを断って、会津120万石から米沢30万石に削封された上杉家にわずかな知行で留まり、米沢郊外の堂森に「無苦庵」という小さな庵を建て、悠々自適の生活を送ったという説もある。 慶長十七年(1612年)に死去し、堂森の善光寺には供養塔が建てられている。 前田慶次郎が登場する本の紹介 |
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武田晴信(のちの信玄)が生まれた日。
晴信は再来年(2007年)の大河ドラマ「風林火山」の脇役で登場するだろう。 まだ配役は決まっていないが、来年の正月にテレ朝で放映される「風林火山」は、主役の山本勘助に北大路欣也、武田晴信はTOKIOの松岡昌宏が演じることに決まった。 松岡は最近時代劇続きだね。 |
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大内義隆が陶隆房の謀反により自害した日。
陶隆房は大内家の武断派の重臣で大内氏の支流にあたる。 幼年の頃は義隆の衆道の相手にもなっていたという。 そんな隆房がなぜ謀反に至ったのか。 義隆や隆房を題材とする小説でも色々描かれるが、出雲尼子氏との戦の敗戦から政治への関心を失って文化的なことに没頭したこと。 そして政治には文治派の相良武任らを重用し、それに武断派の陶隆房らが反発したということ。 家臣の反目というのは、結果として戦国武将の家を弱めるものだ。 ちなみに隆房は、大友宗麟の弟・大内晴英を擁立したので、陶晴賢と改名している。 |
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太閤・豊臣秀吉が亡くなった日。
辞世の歌は 露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢 秀吉の一生を言い表わしたような歌だ。 あまり知られていない秀吉の秘密として、秀吉の指が6本あったという説がある。 信長が秀吉を呼ぶときに 「この六つめが」 と言ったり 前田利家が秀吉没後に 「太閤までなったのに、なぜ指を六本のままにしておいたのか」 というような回想をしたり、肖像画では手を小さく描いて本数がわからないようにしたりということが証拠として挙げられている。 詳しくは
を読んでみよう。 |
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